【すまたん・ZIP】なぜ船で働く男性のセーラー服が女子学生の制服になったの?を紹介!

セーラー服のハテナ
2023年2月7日放送のすまたんZIP!のさかな(佐藤佳奈)のとれたてリサーチはなぜ船で働く男性のセーラー服が女子学生の制服になったの?について紹介されました!
教えてくれたのは日本大学商学部教授の刑部芳則さんです。

なぜ船で働く男性のセーラー服が女子学生の制服になったの?

セーラー服もともとは?

セーラー【sailor】:水平・水夫・船員・海員(広辞苑第七版)

セーラー服の始まり

1800年代前半イギリス海軍の水兵

形には諸説はありますが…

・襟を立てて聴きやすくする。
・海に落ちた時脱ぎやすい。

日本に最初に入ってきたのは幕末「幕府海軍の水兵服」
現在でも海上自衛隊で使用されています。

きっかけはヴィクトリア女王!?

1846年水兵の制服を気に入った女王がエドワード皇太子に着せたところ大好評に

セーラー服が子供服として定着

デザインの良さと機能性から欧米諸国を中心に
「女子学生の通学服」としても広まりました。

日本の女子学生は…

大きな契機は1919年(大正8年)
「服飾改善運動」(はかま・着物中心の服装から洋服に変えていこうとする動き)
洋式制服の取り入れが始まりました。
日本で最初にセーラー服を制服にしたのが「金城女学校(現・金城学院)」です。

1920年(大正9年)

金城女学校:なるべく洋服で通学するようデザインは自由

アメリカからの宣教師

ローガン先生の娘が着ていたセーラー服に生徒たちが注目

結果多くの生徒が娘と同じデザインのセーラー服を自ら仕立て登校

金城女学校:制服として採用

デザインの他にも利点

・和服と比べて安い
・生徒でも作ることが出来る。
セーラー服が全国的に普及

男子生徒がセーラー服にならなかったのは

刑部芳則さんによると、当時はエリートのイメージと繋がらなかったからだそうです。

1880年代

東京大学や学習院では「詰襟の制服」でした。
東京大学や学習院に通う生徒は官僚などのエリートになりました。
将来的に官僚や将校を目指す男子生徒にとって
「詰襟はエリートを目指す者の象徴」
➡他の学校でも詰襟制服が選ばれました。

まとめ

参考になれば幸いです。
金城女学校セーラー服の物語
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最後までお読みいただきありがとうございました。

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