節分とは?由来は?なぜ豆をまく?子供に向け節分の豆まきこんな話を

節分とは?節分の由来は?

節分とはもともと季節の変わり目で、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを言います。
昔の暦では春から新しい年が始まったため、いつの頃からか立春の前日だけが節分になり、春への折り目として3日か4日頃に行われています。
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節分の起こりは古く、文武天皇のころ、706年(慶雲3年)に疫病が流行し、農作物も不作が続き、多数の死者が出ました。そこで天皇は、国民の平安を願ってお経を読み、仏に祈りました。さらに、悪い病気や不作を鬼のしわざとして、追儀式を行い追っ払いました。

この儀式が、新しい年を迎えるための節分の追儀となったと言われています。

神社や寺では、節分の行事があります。面をつけた鬼に向かって、豆をまいて退散させる追儀や、年男の人達がまくところもあります。

なぜ豆をまく?

なぜ豆をまくのか?鬼の目を打つ魔目魔を滅する魔滅からきているそうですよ^^

豆には穀物の霊が宿っていると考えられていたからです。
イワシの頭を入り口に刺したり、ヒイラギの枝を刺したりするのは、鬼はイワシが嫌いなので逃げていくため、ヒイラギは枝にとげがアルルのであるので、鬼が恐れるからだと言われています。

自分の家の中からだけでなく、自分の心の中からも悪い鬼を追い出して、楽しい心で春を迎えたいものです。

お父さん今年の節分はこれで子供が泣かない程度に脅かしてみては^^

節分の豆まきについて子供に向けこんな話を!

ちょっと変わった豆まき

「鬼は外、福は内」とはちょっと違う豆まきの話です。

いつも嫌われている鬼が喜んだと言うのがおもしろいです。

いろんなきもちが理解できる、優しい心を育てたいものですね。

節分の日には、「福は内、鬼は外」と言って豆をまいて、外から入ってくる悪い鬼を追い払うのです。

そして家の入り口には、とげのあるヒイラギって言う木の枝に、「鬼が嫌いなイワシの頭を刺したものを下げておいて、鬼が「とがっていて痛そう。

くさい、くさい」と言って入ってこられないようにするのです。

ところがあるところに、いくら「福は内、鬼は外」とお願いしても、ちっとも生活が楽にならないお百姓さんは「福は内、鬼も内!」と豆をまきました。

すると、どこへも逝く所のなかった赤鬼や青鬼が大喜び「ありがたい、ありがたい」と言ってお百姓さんの家の中にぞろぞろ入ってきて、その夜は泊めてもらいました。

次の朝、鬼たちはおみやげをたくさん置いて、お礼を言って帰って行きました。

嫌われ者の鬼たちは、とっても嬉しかったんです。
お百姓さんはそのおみやげを売ってお金持ちになり、幸せに暮らしたんだそうです。

節分に食べる恵方巻きの由来

節分の行事食としておなじみになった「恵方巻」は、大阪の船場の商人が商売繁盛を願って始めたものです。
丸かぶりは巻寿司に包丁を入れると「縁が切れる」と言う縁起担ぎから丸のまま食べるようになりました。
古くは七草を巻き込んだと言う説もあります。
現在は、七福神にあやかり、かんぴょう、きゅうり、しいたけ、伊達巻き(卵焼き)、うなぎ、えび、桜でんぶなどの7種類の具を入れて福を巻き込みます。
スーパーなどのチラシを見ると、年がら年中何らかの行事に関したセールを目にします。
このチラシ文化が流通の役割を果たした代表格が節分に食べる巻寿司(恵方巻)があります。
この風習の起源は定かではありませんが、大阪酢商組合後援会(現・大阪府酢商生活衛生同業組合)が発行した1932(昭和7)年2月の「巻寿司と福の神」及び「1940(昭和15)年2月の「幸運巻寿司」と題したチラシが現存しており、戦前から宣伝を行っていたのは確かだと言えます。
詳細は下記から▼
大阪歴史博物館:節分「丸かぶり寿司」の風習

恵方巻の発祥地についての詳細は下記から▼
大阪府鮓商生活衛生同業組合:「恵方巻」として全国に広がる「節分丸かぶり」の風習大阪の船場、花街が発祥地です

最後に

いかがでしたでしょか?
節分について「へえ~」はありましたでしょうか?^^
一生懸命調べたつもりですが、イマイチです?それでももしあなたのお役に立てたなら幸いに思います。
それでは最後までお読み頂きありがとうございました。